LOHASブログ

喧噪のダッカで決意!
出来るところからはじめよう
Mother House 代表 山口絵理子

憧れのワシントンD.C.から、最貧国バングラデシュへ

大学4年の春、駄目で元々と思って応募した国際機関のインターンに選ばれた。
憧れだったワシントン。数ヶ国語を使い分けてバリバリ活躍する世界各国の優秀な方達。「わぁーすごいなぁー、かっこいいなぁ。」

私は学生の身分なので出来る仕事の内容も限られていたが、戦略計画・予算部という何やらすごい名前の部署に配属された。2004年度の銀行全体の予算文書を作成するお手伝い、それが私の仕事だった。


     
数百ある部署がそれぞれ次年度のプロジェクト計画を上げ、それに基づいて予算部にどれくらいの資金が必要なのか報告する。予算部はそれを銀行全体の予算の枠内で収めるように交渉し、文書にしてゆく。

パソコンのエクセルファイルと格闘していたある日、何度やっても合計金額が計算と合わないことがあった。
「ボス、これ見てください。2ドルくらいどうしても計算と合わないんです。」
「Don’t mind ! Ok! Ok!」(気にしないでオッケーよ)私はものすごい違和感を持った。

莫大な金額を扱う国際機関にしてみたら2ドルなんてちっぽけな話かも知れないが、世界には一日1ドル以下で生活をしている人たちが12億人もいる。このワシントンの立派な建物は途上国の現実とあまりにも離れたところに建っている気がした。

私は勤務期間を終えて日本へ帰国する予定だったが、1日1ドル以下で生活する人々が人口の44.7%も存在する世界最貧国の一つ、バングラデシュへとチケットを変更した。

空港に着くなり異様な臭いにビックリ。そして取り囲む物乞いの群衆、手足の無い人々、泣き叫ぶ裸ん坊の赤ちゃん・・・・。
「こんな世界があるなんて・・・・。」

今まで生きてきた世界があまりにも狭くて、小さなものであること、そして自分が信じられないほどに幸運な星の下に生まれたんだと体中で実感した。
「私でもできることはないかな…。」
それを見つけたくて大学を卒業してすぐに、両親や友人に計り知れない心配をかけて、バングラデシュの大学院に進学した。

身寄りもない一人ぼっちのアパート探しから始まり、毎月起こるストライキ、誕生日に起きた爆弾テロ事件、3300万人が被害にあった大洪水、正直何度も「日本に帰りたい」と思った。

最初の一ヶ月は不安で全く眠れなかった。
人一倍怖がりの私は、学校から帰宅する時は催涙スプレーを握りしめていた。
大学院の受験日にはいきなり停電になり、テスト用紙が見えずに時間だけ過ぎていった。
「懐中電灯を貸してください。」「そんなのない。慣れろ。」と言われた。

友人が手紙を送ってくれたのにいつになっても届かないので郵便局に行った。「私宛の手紙ありますか?」「ああ、あるある。日本人だからたくさんくれよ。」と多額の賄賂を要求された。断った日から日本からの荷物は一切届かなかった。

バングラデシュに滞在した2年間で実感したことは、援助や寄付が必ずしも求める人々の手に届かない現実だった。そんな中で、「もっと健全で、見える形で、持続的な新しい協力の仕方があれば・・」と考えるようになった。


環境植物ジュートに着目! しかし・・・・・

そんなある日、ダッカの街で一つのバッグを見つけた。
見てみると“ジュートバッグ”と書いてある。

「ジュート??」

調べてみると、ジュートとは麻の一種で通常の植物の5〜6倍の二酸化炭素を光合成の過程で吸収し、廃棄時には有毒なガスを一切出さず、そして何と粉砕すれば肥料としても使用できる環境にとっても優しい素材だということが分かった。

そして国全体のGDPがビルゲイツの個人資産とそれほど変わらないバングラデシュが世界の輸出量の90%も占めるジュート大国であることも知った。
「これだ!バングラデシュでジュートバッグを作って日本で販売しよう!ブランド名は尊敬するマザーテレサから取ってマザーハウス!」と決めた。

善意や自己犠牲の上に成り立つ援助や寄付という形ではなく、経済の基盤をしっかりと持った持続的な協力の仕方。それは、途上国にある資源を使って、先進国でも十分通用する商品を作り、輸出を促進することだ、と私なりの答えを見つけた。

「この活動ならば、現地で働く人達の頑張りがビジネスを通じて得た正当な利益という形になって報われて、そして日本のお客さんにはかわいいバッグを届けることができる!」

その日からジュートバッグ生産者探しの旅が始まった。

素人の私がスケッチブックに描いたバッグのデザインと、アルバイトをして貯めた僅かだけど私の全財産を持ってバッグの工場を何十件も回った。

「お前みたいな素人娘に何ができるっていうんだ。俺たちは専門家だ。」
一生懸命伝えた私の夢は全く相手にされなかった。

「サンプルを作ってみるよ。」と言ってくれた工場の人たち。サンプル料金を払ったらそれっきり音信不通になってしまった。
「はぁ・・・やっぱり私なんかには無理なのかなぁ。経験もないし、お金もないし・・」
諦め半分でも可能性はゼロではないと信じて続けた生産者探し。
帰国寸前になって最高の生産者と出会えることができた。
「君の夢に賭けてみよう。」

「国際貢献」とは何か・・・日本と現地との落差に涙々

嬉し涙は生産が始まった次の日から再び絶望と悔し涙に変わった。
バングラデシュから日本で通用する商品を作るのは想像以上に至難の業だった。工場のみんなからしてみたら作ったことがないデザイン、到達したことがない品質。
「かわいそうだから買ってもらうんじゃなくて、日本のお客さんが本当に欲しいと思うモノを作ろうよ。」みんなの意識を変えるところからのスタートだった。




「マダム、マダムー」と笑顔で駆け寄ってくる工場のみんなが一生懸命作ったバッグを何度も「ごめん。やり直して。」と言わなければならないことが本当に辛かった。
毎日5つも6つも起こるトラブル、眠れない日々を乗り越えて、やっとの思いで160個のバッグが完成した。

出来上がったバッグをダンボールに詰め、最後に工場長が私に言った。

「僕達のベストは尽くしたと思う。」

たった一言だけど、その言葉にこめられた沢山の想いと沢山の希望を胸いっぱいに感じて、涙が止まらなかった。

日本へ帰る飛行機の窓から見た喧騒の国、バングラデシュ。
この国で作られたジュートバッグの重さを一人でも多くの人に感じてもらえるように、そして良い知らせを持ってまた工場のみんなと会える日を夢見て、2006年1月160個のバッグと共に日本へ帰国。2006年2月インターネットで販売を開始。

私にできることは大海に一滴の滴を落とすほどのことかもしれません。けれど、何の為にこの世に生まれてきたのか、何の為に生きていくのか、それを考えた時、“かわいい”“かっこいい”と社会への貢献、環境への取り組みをワンセットにするマザーハウスの活動を通じて、先進国も途上国も関係なく、みんなと地球が笑顔で希望を持てる未来に、少しでも貢献できたらと思っています。

こんな私の身勝手なチャレンジに、本当に心優しい応援をして下さる方々に支えられて、マザーハウスは今、バングラデシュのみんなと共に走り出しました。最後に、何も結果を残していない24歳の試みをこのような素晴らしい形で掲載して頂き、温かいご助言ご指導を頂いた皆様に感謝の気持ちでいっぱいです。


山口絵理子 Profile

小学校時代、いじめられて登校拒否。中学校時代、小学校時代の反発で非行に走る。
大宮工業高等学校:全日本女子柔道ジュニアオリンピックカップ-48kg以下級7位
慶應義塾大学総合政策学部:卒業制作SFCアワード受賞。
バングラデシュBRAC大学院開発学部:初めての日本人生徒、2年間首席。 
現在:マザーハウス代表取締役

夢&信念:“ビジネスを通じた国際貢献を形にする”をモットーに途上国で最高の商品を企画・生産し、それを先進国のお客様にお届けします。ただただ欲しいモノを欲しいだけ買う社会ではなく、モノの背景にあるストーリーを感じながらお買い物ができる社会がくれば貧富の格差は自然と縮まるはずだと信じています。5年後の目標は、世界中の発展途上国から集めた商品群が並ぶ総合デパートメントストアに発展させること。

株式会社マザーハウス
http://www.mother-house.jp 
バングラデシュのジュートバッグ販売中です。

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